昭和五十七年に月五日 朝の御理解
x 御神訓 「信心は本心の玉を磨くものぞや。」
ひと月間、んなら寒修行に精進させて頂きましたが、信心の修行という事は、私は今日のみ教えの、信心は本心の玉を磨くものぞや、とおっしゃるから、磨く事の精進でなからなきゃならん、と思うですよね。ですから磨いたらやはりそこには光が出てくるはずです。だから光も出て来ないような磨き方ではこれはちょっと間違ってる、とまあ思わなきゃいけません。信心はもう本心の玉を磨くものぞや、と。お互い、知ってますけども、ね、どういうようにして磨くのか、信心は日々の改まりが第一、ともおっしゃる。
改まる、というてもどういうふうにして改まる、さあ、自分はこういう事ではいけない、と思う事を改まっていく、という、ね。又、それによって磨き、それによって改まる、とも言われるですから、そういう問題そのものを、まあいうならば、心磨くに砥石はいらぬと、ね。それぞれの持っておる難儀そのものが、ま、砥石なんだ、というふうに教えられますけれども。そう、具体的に、ね。これなら絶対、これなら間違いなく磨かれていく。磨かれていけば光も放つようになってくる。
いうならばおかげは和賀心にあり、と仰せられる、和賀心も、ま、いわば育ってくる。心も豊かに大きくなってくる、ね。それこそ、兎に角信心は地を肥やせ、ね。地を肥やしておれば一人でに物が出けるようなもの、と言われるように一人でにものが出けてくるようなおかげ、ね。そういう実証がね、なからなければ磨く、磨く、というても私は本当の事っちゃない、と思う。いうならば手応えのある磨き方をしなければいけない、と思うです、ね。
昨日は四日の神愛会、でございました。先生方の、もうそれこそ御取次の現場での生々しいお話を聞かせてもらいましたが、頂き終わって、まあ、申しました事でしたけれども、先生方の一人一人のお話を頂かしてもろうてまあ、結局、天行だね、地行だね、と申しました事でした。天行とは天の行、地行とは勿論地の行、んなら、天行とは地行とは、という所をね、私が昨日先生方から聞かせて頂いたお話のあらましを、ね、致しますからその中に天行があり地行があり、この生き方を身につけていくなら本心の玉は磨かれていくだろう、光を放ってくるだろう、一人でに物が出来るようなおかげにも豊かにも大きくにもなれるだろう、と、いう事を皆さんわかって頂きたい、と思う。
兎に角、お互い、ね、願いをやはり少しづつは大きくしていかなきゃいけませんよ。でないと修行が苦になる。昨日も石動教会の宮田先生が発表しておられましたが、なかなかお参りもないのに御結界にじいっと座っとるのもなかなか辛い、と、ね。けれども、ね、このいうならあちらの≪北陸≫地方の方へ、ね、合楽理念によって人が助かる事、の願い、というものを真剣にさせて頂くようになったら奉仕が有難うなった、という発表をしてます。ね。只、自分の家の信者が助かるように、じゃない、ね、あの地方にです、合楽理念による人の助かりが、ね、いよいよ広がっていく事を願いの芯にさせて頂いたら、御結界に座っておる事がきつい、とも苦しい、とも思わんようになった、いや有難うなった、と言っておる。そりゃどういう事でしょうかねえ。
私はその、有難うなるという事は、神様が感じられるからだと思うです。願いが大きくなった、また神の願いでもあるその願いにぴしっと自分の心が動いてきた。そこに神様の感動もあってこちらに有難い心が、ね、もう修行を修行と思わなくなってくるという。だから願いがいつまでももう私一家の事、孫の事だけ、もう子供が試験に通りさえすりゃよか、といったようなケチな願いじゃいけない。段々信心が育つという事は祈りが段々、これはもう勿論中味のあるですよ、ね。口でだけなら天下国家の事でも言われます、ね。ですからそういう、いうならばお育てを頂く事をやはりまず願い、としなきゃならない。
熊本の富永先生が発表しておられましたが、いつも神乍な御都合お繰り合わせ頂いて、雨が降りよっても降り止む、といったようなおかげを頂く、今日ばっかりはそうじゃありませんでした、ち。合楽に、と思うて出発させて頂こう、と思たら雨でその上に風まで出てまいりました、というのです。ね。まあ、何か今年は、ね、そういうようなお取次の上で感じるような事が次々と起こってまいります。
先達てからも御信者の結婚式があった。お許しを頂いて結婚式も無事にすんで新婚旅行に出られた所が帰ってきた時にはもう別れ話であった。その事をお届けに見えた時にそれこそ、穴があるなら入りたい、取次者としてね、お取次を頂いて行ったのにおかげで無事で帰った、のじゃなくて帰ってきた時には離縁話じゃった。もう取次者として本当にまあ、そういう思いがした、と、けれどもすぐ次の瞬間には、ね、教祖様の御伝記の中にもあるように、今日は親戚の誰某が亡くなったから身内の者を誘うてお悔みに行けと神様からお知らせ頂かれた。行かれた所が、当の本人が出て見えた、というのです。
まあ私共のそれは思いですけども本当に、穴があったら入りたいような思いをなさったのじゃなかろうか、と思うです、ね。そしたら神様が、ね。戻しの風は十層倍戻しの風は十層倍と言うて帰れ、とおっしゃったという事です、ね。その時をね、ふっとまあ、心に閃いた、と。そしたら途端にそのこと事態が有難かった、ち、ね。右と願えば左、左と願えば右と、そこに出てきた答えがしかも自分の面子にかかわるような感じもせんではないけれども、その事が有難かった、と。
これは郷ノ浦の末永先生の発表でしたが、あちらもやっぱりもうでかけようとした時、もう大変なお湿りであったそうです。ところが丁度ある夫婦の方がお参りをして来た。して今からこうして合楽におかげ頂いておる所だった、ち言うたら、はあそんならお父さん先生を飛行場まで送って差し上げて下さい、ち奥さんが言うた、自動車で来とった。まあ、本当に渡りに舟というか、まあ合楽に向かうといゃあ神様がこんなにも働いて下さる、と思うてまあ、有難かった、という、ね。
末永先生と富永先生の話は、私は天地の開きがあるがこれこそが天の心である、地の心であろう、と思うたですね、ね。だから自分の思うようになって置いた物を取るようなお繰り合わせを頂いたからおかげじゃない。その反対に、それこそ自分の面子が丸潰れ、と言ったような時もあるけれども、よくよく思うたら通るとこ通らせて頂いておるんだ、として有難かった、とこう言う。初めていわゆる天行、地行という事になるのじゃないでしょうか。
箱崎教会の親奥様が発表しておりました。お夢を頂いてある教会に行きよったけれども、兎に角道がぬかるみで歩かれない。そしたら誰かがその、地行(じぎょう)へ行け、と言われた、と。福岡へあの、地行という場所があるでしょ、あの町の名前でしょ、だから奥さんは、すぐ地の行と頂いた、とこういうわけです。z山口の長田先生はさあ明日は合楽に行かなならんからお話の材料もないから神様どうぞお夢んなっと下さい、と言うて休んだげな、そしたらね、その、中国から素晴らしい土を輸入しておる、という所のお夢であった。と。しかもその土でですね、勿論土をこねるのですから水が入りましょうけれど、こねて人形を作っておるお夢であった。どういう事でしょうか、というて昨日発表があった。
皆さんわかるですよね。人間は土より出でて土に帰って行くのだ、だからその道中とてもやはり土の心で生きる、という事が一番素晴らしい自然な生き方なんだ。人間は土より出でて土に帰るのだ。その道中とてもわがまま勝手な生き方ではなくて一切を土の心で黙って受けて行く、というような信心を身に付けたら、ね。土で作る人形を土偶(でく)というでしょう。土偶人形、私は思うのです。本当に土偶になる事です、ね。
もうそれこそ、そりゃあ辛い事もいわゆる恥ずかしい思いをする事も色んな事もありましょうけれども、それに言い訳、とかどうこうでなくてね。それを合掌して受けていく、というような心の状態が開けてきたら、もう長田先生もうお年寄りの女の先生ですからね、申しました。もうあなた生涯これにかけなさい、私、もう土偶作りにかかんなさい、ね。自分自身が土偶になりきりなさい、と申しました事でした。ね。
津屋崎教会の松村先生達は昨日夫婦でおかげ頂いとりました。もう六十五年か七十五かの歴史のあるお教会ですけども、兎に角何とはなしにふうはない。まあそんな事からではなかったけれども、ま、色々と合楽に御縁が出けておかげで夫婦の者が合楽に傾倒して来た。そして合楽理念に基づく、いわゆる布教にあたらせて頂くようになったら、ね。最近新たな雰囲気が、新たな御信者が増えて来た。色んな会合なんかも生き生きとしてきた。
昨日、先生が発表する前に色々とまあ素晴らしいこの人の話、頭のいい人ですから、あのう出ける人ですが、本当に合楽にこうして夫婦で通うのだから何かいよいよ絶対なもの、間違いのないものを頂いて帰らなきゃいけないよ、と言うて夫婦で話て来ましたが、その、何を頂いて帰る、か、というような質問とも話ともわからんような話をしてましたから、まあ、すんで、あとで申しました。今日、あなた方夫婦がここに参って来た時に、何ばお供えしたかのう、って私は申しました。そりゃ丁度出がけにある方が苺のお供えを持って来た、と。
こりゃあもう合楽にお供えしょうと言うてまあ、その一箱苺のお供えを持って来た、それなんだ、と。合楽でね、ここ、ちょこちょことよかとこだけ頂いて帰ろうじゃ出けんて、そんなもんじゃ、ね。それこそ苺の願いというじゃないか、と。苺というのは一生、という事、ね。合楽理念が完璧に入った、とこう言われる。完璧という事じゃない、もう限りない、この完璧から完璧を目指してすすんで行く事だ、ね。助かりの理念としては完璧と、こう言われるほどしのいうなら、合楽理念をマスターしょう、又それを実験実証していこう、というのだから、これは生涯かけてのものでなければいけない、ね。
それこそ苺の願い、としての合楽通いでなからないけないよ、と言うてまあ申しました事です。ね。皆さん、その、四、五人の先生のまあ発表をかいつまんだ所を聞いて頂いたんですけど、その中に、ははあ、天行とはこれだ、地行とはこれだ、と、ね。松村先生が発表しておりましたが、ね。お正月に頂いた、家内は天の心、私は、頂きますという心あらばあたる事なし。その事をお届けさせて頂いたら、今年はいよいよ当るか当らんか実証の年だ。本気で全ての事を頂きます、と合掌する心で受けていけ、と。本当な事か、本当な事でないかの実証する年だ、ね。
家内は、いよいよ天の心とは限りなく美しう、無条件、ね。お夢の中にも、もうそれを裏付けするようなお夢を頂いておる。野球選手の原辰徳か、という選手が死のノックと。もう兎に角もう、死というと大変厳しいようだけども、一生懸命で受ける稽古をする、という意味らしいですね。だから夫婦の者がこの生き方で今年は行くこう、そして原辰徳じゃでけん。もう腹は立てんと決めよう、と。そういう修行を神様は求めておられる、為にはいよいよ限りなく美しうならせてもらい。無条件の、いうならば奉仕、ね。主人の方はそれこそ、一切の事を頂きますという心あらばあたる事なし、と言われるのだから、当るか当らんか今年は本気でその事を修行で取り組ませてもらおう、というようなまあ意気盛んな所の話でした。素晴らしい、と思いました。
いつもこの神愛会に、西福岡の稲員さんが必ず出席されます。信者ながらもなかなかの何て言うですか、天性に、生まれつき美しいものをもっちゃるですね。天の心を。これはもう本当にこれはたくまずしてもっちゃる、したら昨日の朝、神様から御祈念しよったげなら、ね。天は高いから手は届かんと思うけれども、ね。天は高いから手は届かんとおもうけれども、氏子がその気になれば天が下がってくる、とおっしゃったそうです。
お言葉で、素晴らしいですねえ。天は高いから手は届かんと思うけれども、氏子がその気になれば、というのは今、天性的に持っとられる美しい心をね。よいよ信心によって磨きをかけていく、という事だと思うんですよ。氏子がその気になれば天が、ね、下がってくる、とおっしゃった。確かにそうです、ね。そういう、ね、私は、今日皆さんに聞いて頂いた先生方の体験からまあ、かいつまんだお話でしたけれども、そういうあり方、いうなら祈りを大きく持つ事。一遍にはいかんから一回りづつ大きくしていく事、ね。
ん、なら皆さんが例えば今年は合楽の十五年の記念祭、なら十五年の記念祭にかけて信心をすすめていこう、といったような、ね。自分だけの事だけだったのが、教会全体の事が祈れれるようになったら、もうこの位な修行はもう当たり前、というごつなるですよ。それこそ宮田先生が、ね。みちのく、の地方に合楽理念で人が助かる、という事を願い、とさして頂くようになったら御結界奉仕が辛くなくなった、とこう言うのです。ね。
私は、そういう、いうなら天の心、地の心ち言うか、天行、地行を私、あのう目指さしてもろうて徹底していくところからです。いつの間にか心光輝き出してくる、と思うです。心豊かに大きくなってくる、と思うです、ね。信心、いわゆる本心の玉を磨くものぞや。随分私共もまあ色んな問題がある。その問題を通して磨く材料にすると、いうふうに言うてきたけども、いっちょん手応えがなかった感じがしますね。ね。はい。
今日私共が皆さんに聞いて頂いた先生方の体験を通して、ね。皆さんがこれが天行だろう、これが地行だろう。と思うような信心に取り組んだら、ね。もう絶対手応えがあるですよ。はい。やはり手応えのある信心しなきゃ駄目、ね。いわゆる信心の確立というか、そういう事だと私は思うです。今日は、昨日、丁度神愛会が終わっておる所へ御本部からの先生、お着きになりました。
今日はまあ先生のお話頂くわけですけれども、おそらくは私共ではわからんような難しいお話かも知れません。講題を頂いております、ね。「教えをこえて教えに生きる」、素晴らしい講題ですね。だから難しいでしょ、けれども、ね、ここで聞いとる、まあ、ザアッとした話じゃない、ですからしっかり頂いてわからん所は後に、その時間を取って下さって、質疑応答的な場を設けられるそうですから、ね。その時、またお伺いさして頂くとしてひとつ本気で頂きましょう。どうぞ